太田家住宅とは?
太田家住宅は、江戸時代より鞆の浦で作られている薬用酒「保命酒(ほうめいしゅ)」の蔵元だった建物です。
瀬戸内海の商家建築を代表するもので、1991年に国の重要文化財指定を受けました。
主屋や醸造蔵など9棟からなり、江戸時代中期から後期にかけて「保命酒屋中村家」によって拡張・増築されて、ほぼ現在の形になりました。明治期に廻船業を営んでいた太田家が受け継いだことから、太田家住宅と呼ばれています。
戦後経済成長の中でその存在は忘れられかけましたが、重要文化財指定を受けた後、約6年の歳月(1996年~2001年)をかけて保存修理作業を行い、整備復旧されました。
江戸時代に鞆の商家がどれだけ栄えたか、その繁栄ぶりを知ることができる貴重な建物ですので、鞆に来た際にはぜひ立ち寄っていただきたい場所です。
豪商中村さんのこだわりおもてなし
太田家住宅は単なる古い建物ではありません。江戸時代のハイセンスなお金持ちが、お金を惜しまず最先端のデザインと文化を盛り込んで作り上げた「デザイナーズハウス」なのです。
例えば、入り口を入ってすぐの天井を見上げると、極薄の板や竹を編み込んだ「網代(あじろ)」造りになっています。これは通常、茶室等のおもてなし空間で施されるもので、単なる土間天井に施すようなものではありません。
その他にも市松模様に石を配した土間、大きな松をまるまる使った一枚板の床の間天井、光の加減で重なり模様の雰囲気が変わる障子、人に気を使わなくてもいい部屋の配置など、すべてがさり気なくこだわってあって、気づいた人だけが「おぉ!」と声を上げてしまうような粋な造りになっているのです。
保命酒の商いで関西に上ることが多かった中村さんは、必ず京都に寄り、茶人たちと交流していたそうです。そうして得た最新の文化を鞆に持って帰って、このおもてなし空間を作り上げたのです。
江戸時代の本当のお金持ちが本気で造ったおもてなし空間を、ぜひ一度体験してみてください。
太田家住宅と七人のお公家さま
1863年8月23日、尊皇攘夷(そんのうじょうい:外国人を追いだそう!)を主張して、江戸幕府と仲の悪かった三条実美(さんじょうさねとみ)ら7人の公家は、京都を追われて長州(今の山口県)に逃げる途中で鞆の浦に寄港しました。
逃げてきたとはいえお公家様です。その辺の宿に泊まることはありえないので、鞆で一番良いお屋敷である「保命酒屋(現・太田家住宅)」に宿泊しました。
その際に保命酒を口にして、そのあまりの美味しさに、保命酒を褒め称える歌を残しています。
重要文化財・太田家住宅の施設詳細
JR福山駅から鞆鉄バスで鞆港バス停下車 徒歩5分。常夜燈へ向かう途中にございます。
住所 | 〒720-0201 広島県福山市鞆町鞆842 |
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電話番号 | 084-982-3553(FAXも同じ) |
開館時間 | 10:00~17:00(入館は16:30まで) |
休館日 | 火曜日(祝日の場合は翌日) 年末年始(12月29日~1月1日) |
入館料 |
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駐車場 | 駐車場はございません。 お車でご来館の際は有料市営駐車場等にご駐車ください。 |